STATEMENT

私の白磁を用いた作品は、その花の中に釉薬で風景や生物が飛び交う姿が描かれていることが多い。
それは、花という次世代の種(空間)が生まれる前に広がる、美しい空間のあり方自体に心惹かれており、その限られた生命空間のあり方を探求したいと考えているからである。

元々大学では油画を専攻の学生だったからか、もう10年以上取り組んでいる白磁でも、その透き通った白さと瑞々しい透明の釉薬の物質感に、油絵のキャンバスと透明な油絵具の関係を重ね合わせて見ている。ただその強くも儚い透光性の白磁は、どこか命の強さと儚さとも似ていて、さらに火というコントロールできない部分も含んでいることで、作品に生命が宿る感覚も持っていた。

そして子供の頃から自然が好きで大学時代も山々を登っていたからだろうか?

空間は自然現象を含む一つの生命として感じていた。空間には魂があり、私たちはそこに自身の心情を寄り添わせることで、空間からエネルギーを受容していると思っている。

それは空間に神々が遍満する日本的な宗教観に近いと思うけど、私の感じる空間はもう少し有限的で死も含む生命であり、磁器の強くも儚い偶発的に生まれる美しさに、自然現象の移ろいを重ね合わせることで、「生滅を続ける生気を帯びた風景」を眼前の光景と融合して作り出してきた。

これからもそうした意識は変わらないと思う。

その上で意識することは、作品の肉体は陶磁器や支持体、絵の具等の物質であり、精神は私が磁器を用いて空間に引く線や絵の具の滲み等、時間を内包する行為の積み重ねでありどちらか一方では成立しない。それを柔軟に重ね合わせることで、より作品に生命を宿らせることができるかもしれないし、同時にその有限性ゆえに朽ちゆく姿も強調されるだろう。形作ることと崩れゆくことが調和する風景、失われるからこそ愛おしい風景を今後も探り続けていく。