《風景の感じ方》

《風景の感じ方》2004 金沢市民芸術村 PIT5、金沢
九谷焼 300cm×250cm×350cm

私たちにとって風景とは、眼前で見るものではなく感じるものであり、それは思い出や多くの人との関わりの中で、風景のイメージはさらに深まり、その人だけにしか感じられない風景となっていく。そうした心的な動きを、直物の生育になぞらえて表現した。中心から蔓のように円を描いて伸びゆく磁器の花の一つ一つに、私自身の記憶の風景が描かれている。小さなガラス質の色の点(つぼみ)に囲まれた中心部は、外に広がるにつれ花や葉の一つ一つに風景が現れ、全体として新たな風景観が紡がれていく。
陶器で作られた瑞々しく美しいガラス質の風景は、その透明感から堅牢さと儚さを併せ持っている。

The weaving of landscapes from memories》 2004 Kanazawa citizen art village PIT5, Ishikawa
Kutani chinaware a diameter of 9m

Kutani chinaware grows up like a vine towards the outside from the center.
Along a wall surface of glass, a vine is going to surround the whole space. The scenery which I has watched in my life is described in a leaf and flower of a vine.
I put strength and a weakness of life in durability and danger of Kutani chinaware of ceramics.